普通の生活
今週は、午前中は思いっきりだらけ、基本寝て過ごし、午後13時前後からのそのそ外出の準備をして出かけます。
仕事で引き継いだり荷物を整理したり、しないといけないことがあるからです。
でも明後日からは、午後に人並みに動ける為のエネルギーをチャージするために、午前中をセーブする必要はありません。
本格的な休みに入るからです。
なので、この機会に、思いっきり人間活動というものをできるようにしたいと思います。
朝はだらだら寝ない。
起きたらすぐ歯を磨いて顔を洗う。
洗濯機を回す。
朝ごはんを食べる。
掃除機をかける。
洗濯物を干す。
少し休憩してコーヒーでも飲む?
読書でもする?
モニターでお金を貰えるやつを探す。
昼ごはんを食べる。
物書きをする。
少し昼寝する。
風呂掃除をする。
涼しくなったら犬の散歩をする。
少し遠出をして体力をつける。
帰ったら風呂に入る。
お酒か水を飲んでゆっくりする。
早めに寝る。
基本はこんな感じかな?
できるかはわからないけど、できる限りやる。
無理はしない。でもサボらない。
普通のことが、普通にできるように。
頑張ります。
良い医者と出会うこと
今日はお昼から活動できました。9月の始まりです。
学生の頃から精神科や心療内科を転々と、しばらく真面目に通院したり、行けなくなって面倒になって薬を飲まないで生活できていた(?)期間もありました。
結局どこでも言われるのは双極性障害の疑いでした。疑ってました。わたしも。え、それはないでしょ、と。
若い頃は境界性パーソナリティ障害とも言われましたが、そちらは寛解してますね。(おそらく)
あの時の感覚はほぼないので。
で、その双極性障害も、ほんとかなあ、、と疑ってたのですが、今通っている、初めて出会えたとても信頼できる先生が、長い期間を経てわたしの様子や症状をしっかり鑑みた上で、双極性障害と診断してくれました。
ネットで調べる双極性障害だと、わたしにあてはまる項目もあれば、そんなことはないなあ、という感覚もあったので、ずーっとどこかではわたしはそういう病気じゃない気がすると思い続けてきました。
でも今の医師はすごく真面目に向き合って考えてくれて。
それに同じ病名でも人によって千差万別だという事も知りました。
今回は初めて医師の診断を信頼できました。
目に見えない病気なので、診断は難しいし、自分でももちろんよくわかりません。
だからこそ信頼できる医師に巡り会うことはとても大事であり幸せなことだと思います。
わたしはここ最近調子を崩して、結局仕事は休職中です。
また新しく自分を仕切り直して幸せになれるように少しずつ頑張っていこうと思います。
魔の週初め
月曜日です。また負けました。朝に。
鬱がじわじわ進行してるのがわかります。
仕事は別に辛くなかったのにな。笑
いまは会社にいるのもわりときつくなってしまった。笑
でもお金もないので休むわけにもいかず。
食欲がないので喫茶店でコーヒーを頼みました。
都会のランチは高いです。都会のコーヒー高いです。いやになります。
あとはコンビニでカットフルーツでも買って食べます。。
本当はこういうときにカフェインはダメなんでしょうし、喫茶店なんか入らなくたってコーヒーなんてコンビニで100円で売ってるし、出てくる必要もなかったんですけど、
一人になる時間が欲しくて会社を出てきました。
午後は頓服の薬でも飲んで頑張るとします。
体力が本当に大事だということ。
過呼吸を起こしかけるほどの大号泣に2日連続で見舞われて、2日間 目がパンパンに腫れていました。
今日は健康的な時間に連れ出してくれる数少ない友人達と公園でお昼からビールとかを飲みました。
食べ物も買いあさって食べました。
先日までほどではないですが、まだ今日も日が照ってるところは暑かった。。。
木陰は涼しいです。風が吹くと気持ちいいです。
それで早め集合の早め解散で、良い休日の過ごし方ができました。
ただ家に帰ってからが問題。
最近じわじわ感じてるのですが、体力のなさ、回復までに要する時間を考えると明らかにものすごい体力が低下してるのです。。
シャワーを浴びてるときからめまいがすごくて、手も若干震えてるし。
今日みたいな健康的な休日の過ごし方は、正常な人間生活(って何ぞ)を送れるようになるために必要な活動だと思うのです。
だけどそれをやった場合の疲労度合いが昔と全くレベルが違う。
ただなんとなく歳を重ねてしまったからなんでしょうか。。切ないです。
現実と妄想の狭間で生きること
わたしの最近は
現実と妄想、夢もしくは酔いの魅せる幻想の区別があまりつかなくなっています。
だからもしかしたら、今日嬉しかったことは全部夢かもしれない。
今日嫌だったことは、全部わたしの妄想かもしれない。
境目がわかりません。
わたしがやりたいことは、少なくとも現実化していないですけれど
それでもそれを求めては
現実だか妄想だか幻想だか、わからないことにいちいち振り回されています。
厄介なものです。
これが芸術になったら、どれだけ幸せでしょう。
わたしは、このわたしの感じたことすべてが、芸術となって、過去、未来問わぬすべての人に、何かを残せたら、それが幸せだと思うのです。
残したい。何かを残したい。
わたしがこの世に生を受けた意味を、残したいのです。
そうでなきゃ、こんななんでもない存在のわたしが、生きている意味がないのです。
悲しくもあり、切なくもあり、また、まだ生きなければいけない理由でもあります。
まだその使命を果たせていないのですから。